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菅沼 愛語


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  2016年の歴史学界 ― 回顧と展望 ―
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 『史学雑誌』 第126編 第5号 (史学会,2017年刊行).


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  ―皇太子生母殺害の慣習とその理由
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  季刊『古代文化』(古代学協会)第68巻 第3号(2016年12月)78-90頁.


  隋の東部ユーラシア規模での世界戦略
  ―北方と西方への遠交近攻、以夷制夷の対外政策―
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  『史窓』,第74号 (京都女子大学史学会,2017年2月) 43-66頁.


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【東部ユーラシア史】という概念


「東部ユーラシア」という用語は、2009年2月に発表した論文 『七世紀後半の「唐・吐蕃戦争」と東部ユーラシア諸国の自立への動き ― 新羅の朝鮮半島統一・突厥の復興・契丹の反乱・渤海の建国との関連性』 (『史窓』第66号,1-22頁,2009年2月)で初めて使用致しました。 歴史論文では最初の使用であると思います。 それ以後も「東部ユーラシア史」に関する幾つかの論文を執筆してきました。 そして、拙稿で「東部ユーラシア」という新概念を提示して以来、 東洋史のみならず日本古代史まで、多くの歴史研究者の方の論文や書籍等にも この用語が使用され、拙稿も多く引用して頂きました。

他の時代でもそうですが、特に隋唐期の外交関係は、地域的に広範な領域が関連するので、そのテーマを扱う際には 「中華帝国」「東アジア」では幾分限定的で狭過ぎると以前より感じていました。 上記の拙稿では、隋唐期の外交関係の舞台をより的確に表す、新しい歴史的概念が必要と感じ、それを「東部ユーラシア」としました。

著書『7世紀後半から8世紀の東部ユーラシアの国際情勢とその推移 ― 唐・吐蕃・突厥の外交関係を中心に ―』(渓水社、2013年12月)では、 「東部ユーラシア」というこの新しい歴史的概念を、6世紀末~10世紀初頭の隋唐帝国期を主たる対象として、 「中華文明圏を中核とし、それと歴史的に密接なつながりを持ち、戦争や外交といった直接的な交渉を継続的に行った周辺諸国家を包含するエリア」 と規定しました。具体的には、中華(隋、唐)、チベット(吐蕃)、北アジア(突厥、ウイグル)、 中央アジアの東部、東北アジア(高句麗、渤海、契丹)、朝鮮半島(新羅、百済)、日本、南方の南詔(雲南)、ベトナム などを含む広範な地域に相当します。

これらの広大な地域は、例えば、ローマ帝国滅亡後の「地中海世界」に似た側面を持ち、政治的な統合が長期的にはなされず、 幾つかの異なる文化圏を内包する「複合文化圏」であるにもかかわらず、巨視的には1つの大きな「世界圏」を形成し、 政治・経済・文化など広範な領域において相互に密接な影響を及ぼし合い、連動しながら動的に発展してきました。 本書では、7世紀後半~8世紀、東部ユーラシア世界の中核であった大唐帝国、西方の強国・吐蕃、北方の雄・突厥の3国の外交関係に焦点をあて、 国際情勢の推移を俯瞰的に捉え論考しました。

詳細は、誠に恐縮ですが著書をご覧頂ければと思います。



著書



7世紀後半から8世紀の東部ユーラシアの国際情勢とその推移
       ― 唐・吐蕃・突厥の外交関係を中心に ―

出版社:渓水社
発行日:2013年12月10日
定価:  3000円(税別)
ページ: 382ページ
ISBN: ISBN978-4-86327-235-4

書籍情報(渓水社): 7世紀後半から8世紀の東部ユーラシアの国際情勢とその推移




〈目次〉

まえがき
序 論 
註(序論)

第1章 7世紀後半の東部ユーラシア諸国の自立への動き
   ―「唐・吐蕃戦争」と新羅の朝鮮半島統一・突厥の復興・契丹の反乱・渤海の建国との関連性―
 1.1節 唐・吐蕃戦争以前の唐をとりまく国際情勢
 1.2節 第一次唐・吐蕃戦争(670年)と唐・新羅戦争の関連性
 1.3節 第二次唐・吐蕃戦争と「唐・新羅戦争の終結」及び「突厥の復興」の関連性
 1.4節 第三次唐・吐蕃戦争(687~696年3月)
 1.5節 第三次唐・吐蕃戦争の周辺諸国への余波と唐の外交政策の転換
 まとめ(第1章)
 註(第1章)

第2章 8世紀前半の東部ユーラシアの国際情勢―多様な外交関係の形成とその展開―
 2.1節 8世紀前半の吐蕃と突厥および唐の外交戦略の概観
 2.2節 唐と吐蕃の和睦(神龍会盟・公主降嫁)と唐による突厥包囲作戦:神龍2年(706)~景龍4年(710)
 2.3節 唐・突厥戦の展開と終結、その後の唐による吐蕃への集中攻撃:開元2年(714)~開元18年(730)
 2.4節 唐と北方連合(突厥・契丹・奚・渤海)との戦争および唐の対吐蕃融和策(開元会盟と赤嶺碑文):開元18~21年〔730~733〕
 2.5節 北方情勢の沈静化と西方情勢の悪化:開元22年(734)~開元26年(738)
 まとめ(第2章)
 註(第2章)

第3章 安史の乱以前の2つの唐・吐蕃会盟:神龍会盟・開元会盟
 3.1節 神龍会盟(神龍2年〔706年〕)
 3.2節 開元会盟(開元18年~開元21年〔730~733〕)と赤嶺碑文
 まとめ(第3章)
 註(第3章)

第4章 唐と突厥第二可汗国の和戦
 4.1節 キョル・テギン碑文に見られる唐の外交姿勢―玄宗「御製御書」の闕特勤碑文漢文面を中心に―
 4.2節 契丹の帰属をめぐる唐と突厥の対立
 まとめ(4.2節:突厥第二可汗国の興亡と契丹)
 註(第4章)

第5章 安史の乱直前の唐の外征及び対外政策
   ―751年の3つの大敗に象徴される唐の内政・外政の異常化の様相―
 5.1節 700年代~730年代の唐の外交戦略と周辺国家の動向
 5.2節 開元末(741年)頃~天寶9載(750年)の外征と内政
 5.3節 天寶10載(751)の唐軍の3つの大敗:南詔での大敗、タラス河畔の戦い、契丹での大敗
 5.4節 天寶11載(752)~12載(753)の権力闘争:阿布思の乱、王鉷の反逆事件、李林甫への糾弾
 まとめ(第5章)
 註(第5章)

第6章 東部ユーラシアの大戦としての「安史の乱」における周辺諸国の動向
   ―ウイグル・吐蕃・于闐・抜汗那・吐火羅・大食・南蛮・契丹・奚・南詔・党項・渤海・新羅・日本―
 6.1節 安史の乱が勃発する直前と乱勃発直後の唐の対外政策
 6.2節 安史の乱の経過と周辺諸国の寄与―ウイグルを中心に―
 6.3節 安史の乱におけるウイグル・吐蕃以外の周辺諸国の動向
 6.4節 安史の乱の時の吐蕃の動向(南詔・党項の動向も含む)
 まとめ(第6章)
 註(第6章)

第7章 安史の乱後の内治のための外交
   ―徳宗時代の三つの唐・吐蕃会盟(建中会盟・奉天盟書・平涼偽盟)―
 7.1節 建中会盟に至るまでの唐を取り巻く国内外の情勢
 7.2節 建中会盟とその歴史背景
 7.3節 奉天盟書
 7.4節 平涼偽盟とその後の国際情勢
 7.5節 徳宗時代の3つの唐・吐蕃会盟のまとめ
 7.6節 周辺諸国による反乱支援―吐蕃・ウイグルの僕固懐恩支援、ウイグルの朱滔支援、吐蕃と朱泚の取引―
 7.7節 安史の乱以前の会盟と以後の会盟の類似点と相違点:開元会盟と建中会盟の比較
 7.8節 8世紀の唐・吐蕃会盟全体の総括
 7.9節 8世紀の唐の外交事例の後世への影響
 まとめ(第7章)
 註(第7章)

結 論
あとがき
参考文献および略号
年代対応表(1.670~700年,2.701~730年,3.731~763年,4.770~800年)



〈東部ユーラシアの概念規定〉

ここで、本書で用いる「東部ユーラシア」という概念規定について簡単に説明しておく。 本書では、6世紀末~10世紀初頭の隋唐帝国期を主たる対象として、「中華文明圏を中核とし、それと歴史的に密接なつながりを持ち、 戦争や外交といった直接的な交渉を継続的に行った周辺諸国家を包含するエリア」を「東部ユーラシア」と呼ぶことにする。 即ち、具体的には、中華(唐)、チベット(吐蕃)、北アジア(突厥、ウイグル)、 中央アジアの東部(東トルキスタン=現在の新疆ウイグル自治区=西域)、東北アジア(渤海、契丹)、朝鮮半島(高句麗、新羅、百済)、 日本、南方の南詔(雲南)、ベトナムなどを含む広範な地域を指す。 なお、7世紀~8世紀後半の東部ユーラシアの地理的な範囲については、〔図Φ-1〕~〔図Φ-4〕を参照されたい。

これらの地域を指す地理的な用語としては、これまで東アジアや中央アジアなどといった用語が使われてきた。 しかし、東アジアは中華・朝鮮半島・日本を含む地域ではあるが、チベット・北アジア・東トルキスタン(中央アジア東部)などを含まない。 また、中央アジアは中華・朝鮮半島・日本を含まない。それゆえ、隋唐期の中華文明圏と継続的かつ直接的な交渉を持った、 東アジア・北アジア・チベット・中央アジアなどを包含する広大なエリアに対する地理的用語としては、東部ユーラシアが最も適切であると考える。

これらの広大な地域は、13世紀のモンゴル帝国時代までは、政治的な統合はなされなかった。また、幾つかの異なる文化圏を内包する 「複合文化圏」でもある。にもかかわらず、この東部ユーラシアというエリアは、巨視的には、1つの大きな「世界圏」を形成しており、 歴史的な流れの上においても、古来より中華世界を中心としながら、政治・経済・文化など広範な領域において、相互に密接な影響を及ぼし合い、 諸国家が興亡を繰り返してきた歴史の大舞台である。以下でも見るように、少なくとも隋唐帝国期には、東部ユーラシアの諸国は、 戦争や外交といった直接的な交渉も含めて有機的に結びつき、連動しながら動的に発展していった。

このように、政治的な統合が恒常的になされず、異なる文化圏を幾つか内包するにもかかわらず、巨視的に1つの有機的な統合体として捉えられる 「世界圏」は世界史上に幾つか存在する。例えば、ローマ帝国崩壊後の「地中海世界」などは、そういった巨視的な世界圏の典型例であり、 「東部ユーラシア世界」もまた、それに類似の巨視的な歴史的概念と言える。

この東部ユーラシア世界において、少なくとも7世紀~8世紀の時期は、統一中華王朝である大唐帝国が圧倒的な勢力を有し、 したがって中核としての中華帝国と、それを取り巻く周辺諸国家という構図が、近似的には成立する。特に8世紀中葉の安史の乱以前は、 この非対称性は顕著であるため、本書では、吐蕃・突厥・新羅・契丹・渤海などの唐の近隣諸国を、多くの先行研究と同様に「周辺諸国」と呼ぶことにする。

なお、7世紀~8世紀の東部ユーラシアの周辺諸国のうち、西方のチベット帝国である吐蕃と、北方遊牧帝国である突厥・ウイグルは、 強大な軍事力を背景に、広大な領域を長期にわたって支配した。とりわけ吐蕃は、7世紀後半から既に強国であり、 強盛な時期の大唐帝国に対してもしばしば勝利を収め、唐が構築しつつあった1つの世界秩序に多大な影響を及ぼし、 周辺諸国の唐からの相次ぐ自立にも少なからず寄与した。また、安史の乱(755~763)の後には、弱体化した唐を吐蕃と北方遊牧勢力が圧迫し、 両者との外交関係が中華帝国存亡に関わる重要な鍵にまでなる。

このように、あるいは本書で諸史料に基づいて詳しく示すように、7世紀~8世紀の東部ユーラシア世界では、 大唐帝国、西方の吐蕃、北方遊牧帝国という異なる文化圏の三勢力が、時に非対称ながらそれぞれ渦の中心となり、 他の周辺諸国を巻き込みながら密接に絡み合い、歴史的な展開を見せるのである。

(本書「序論」より抜粋)




歴史論文



1. 北魏における「子貴母死」制度の歴史的背景 〈研究ノート〉
  ―皇太子生母殺害の慣習とその理由
  Historical backgrounds of ZiGuiMuSi (子貴母死) System:
  Tradition and Reason of Killing Imperial Prince's Mother in Northern Wei (北魏)
  菅沼愛語
  季刊『古代文化』(CULTURA ANTIQUA)
  第68巻 第3号(古代学協会, 2016年12月)78-90頁.

  季刊『古代文化』



2. 隋の東部ユーラシア規模での世界戦略
  ―北方と西方への遠交近攻、以夷制夷の対外政策―
  Diplomatic Strategy of Sui (隋) at Eastern Eurasian scale:
  Successful Policies to Northern and Western countries
  菅沼愛語
  『史窓』,第74号 (京都女子大学史学会,2017年2月) 43-66頁.




3. 烏孫への和蕃公主の外交活動と漢の対外政策 〈研究ノート〉
  ―江都公主、解憂公主、侍女馮嫽の活動の記録―
  Diplomatic Activities of Peace-Marriage Princesses in Relation to the Wusun
  and the Foreign Policy of the Han Dynasty
  菅沼愛語
  『総合女性史研究』 (Annual Reviews of Women's History),
  第34号 (総合女性史学会,2017年3月) 5-21頁.




4. 九世紀前半の東部ユーラシア情勢と唐の内治のための外交
  ―吐蕃との長慶会盟、ウイグルへの太和公主降嫁の背景―
  The Diplomatic Evolution in Eastern Eurasia in the Early Ninth Century :
  A Global Background of Tang-Tufan Treaty and Tang-Uighur Marriage Alliance
  菅沼愛語
  『史窓』,第73号 (京都女子大学史学会,2016年2月) 1-25頁.




5. 隋代の和蕃公主と北方・西方に対する隋の外交戦略
  Hefan gongzhu (和蕃公主) of Sui (隋) Dynasty and
  the Diplomatic Strategy of Sui to the North and the West
  菅沼愛語
  『立命館東洋史学』 (The Journal of Ritsumeikan East Asian History Studies),
  第38号 (立命館東洋史学会,2015年8月) 41-76頁.




6. 約10回の唐・吐蕃会盟(706~821年)の様相
  ―唐から見た吐蕃との外交交渉―
  Ten Tang -Tufan Treaties (706-821) :
  Diplomatic Negotiations with Tufan from the standpoint of the Tang Dynasty
  菅沼愛語
  『日本西蔵学会々報』 (Report of the Japanese Association for Tibetan Studies),
  第61号 (日本西蔵学会,2015年11月) 43-59頁.




7. 和蕃公主を通じての唐の外交戦略
  The Diplomatic Strategy of Tang from the viewpoint of Hefan Gongzhu(和蕃公主)
  菅沼愛語
  『総合女性史研究』 (Annual Reviews of Women's History),
  第31号 (総合女性史学会,2014年3月) 5-26頁.

  総合女性史学会および『総合女性史研究』



8. 唐代の外交政策における“謀略”とその背景 〈研究ノート〉
  Intrigues in the Diplomatic Policy of Tang and Their Background
  菅沼愛語
  『史窓』,第71号 (京都女子大学史学会,2014年2月) 33-50頁.

  京都女子大学 Academic Information Repository
  論文(PDF)



9. 西魏・北周の対外政策と中国再統一へのプロセス
  ―東部ユーラシア分裂時代末期の外交関係―
  The Foreign Policy of Western Wei 西魏 and Northern Zhou 北周,
  and Reunification of China
  菅沼愛語
  『史窓』,第70号 (京都女子大学史学会,2013年2月) 1-22頁.

  京都女子大学 Academic Information Repository
  論文(PDF)



10. 安史の乱における周辺諸国の動向
  ―ウイグル・吐蕃・于闐・抜汗那・吐火羅・大食・南蛮・契丹・奚・南詔・党項・渤海・新羅・日本―
  The Revolt of An-shi and Neighboring Countries of Tang Dynasty: Uighur, Tibet,
  Khotan, Fergana, Tukhuar, Arab, Nanman, Khitan, Xi, Nanzhao, Tangut, Palhae, Silla, Japan
  菅沼愛語
  『史窓』,第69号 (京都女子大学史学会,2012年2月) 1-26頁.

図:安史の乱における東部ユーラシア諸国(諸勢力)の国際関係の概略図。
薄い影は実際に戦いに参加した親唐勢力、濃い影は安史側の勢力を表す。
斜線の吐蕃・南詔・党項は、乱の混乱に乗じて唐に侵攻した勢力。

          


          


          




11. 徳宗時代の三つの唐・吐蕃会盟(建中会盟・奉天盟書・平涼偽盟)
  ― 安史の乱後の内治のための外交 ―
  Three Treaties between Tang Dynasty and Tufan Kingdom in Dezong(徳宗)'s era:
  Diplomacy for Domestic Rule after the Revolt of An-Shih
  菅沼愛語
  『史窓』,第68号 (京都女子大学史学会,2011年2月) 139-162頁.

  論文(PDF)



12. 唐・吐蕃会盟の歴史的背景とその意義:安史の乱以前の二度の会盟を中心に
  Treaties between Tang Dynasty and Tufan Kingdom,
  and their historical meaning and background:
  a Study focusing on Two Treaties before the Revolt of An-shih
  菅沼愛語
  『日本西蔵学会々報』 (Report of the Japanese Association for Tibetan Studies),
  第56号 (日本西蔵学会,2010年7月) 29-43頁.

  論文情報 CiNii
  論文(PDF)



13. 八世紀前半の唐・突厥・吐蕃を中心とする国際情勢
  ―多様な外交関係の形成とその展開―
  Tang 唐 Dynasty, Turk 突厥 and Tibet 吐蕃:
  Their International Relations in the First Half of the Eighth Century
  菅沼愛語
  『史窓』,第67号 (京都女子大学史学会,2010年2月) 1-22頁.

  論文(PDF)

図:開元20~23年における外交関係の推移。黒矢印は敵対行為、白は友好を表す。
   わずか4年間に外交関係が目まぐるしく変化している。

          


8世紀前半における唐の外交戦略の大局的な推移と開元20~23年の東部ユーラシアの国際情勢の推移




14. 七世紀後半の「唐・吐蕃戦争」と東部ユーラシア諸国の自立への動き
  ―新羅の朝鮮半島統一・突厥の復興・契丹の反乱・渤海の建国との関連性―
  Correlation between “Tang-Tibet Wars” and independence of Eastern Eurasia nations
  in the latter half of the seventh century: “Unification of Korean peninsula by Silla”,
  “Revival of Turk”, “Revolt of Khitan” and “Founding of Palhae”
  菅沼愛語,菅沼秀夫
  『史窓』,第66号 (京都女子大学史学会,2009年2月) 1-22頁.

  論文(PDF)  年表(PDF)

          

【論文概要】
 本稿では、七世紀後半に起こった「唐・吐蕃戦争」と、「新羅による朝鮮半島の統一」「突厥の復興」
「契丹の反乱」「渤海の建国」との関連性について考察した。この時期の唐周辺の国際情勢を概観すると、
671年より新羅が統一戦争を開始し、682年には突厥が復興、696年に契丹が唐に対して反乱を起こし、
698年に渤海が建国するなど、周辺諸国は相次いで唐の支配から脱している。
 これと同時期に吐蕃が西域に進出し、唐は、西域の支配権を巡って吐蕃と激戦を繰り広げ、
670年、678年、689年、696年の4度大敗している。この唐の大敗と周辺諸国の自立への動きとの間には
密接な相関が見られ、唐が吐蕃に大敗する度に、周辺諸国は唐からの自立を試みている。
従って、七世紀後半の唐・吐蕃戦争は、中国周辺諸国の自立という観点から重要な歴史的意義を有しており、
この時期、東アジア・中央アジア・北アジアは有機的に連動していたと推測される。

      「7世紀後半の唐吐蕃戦争」と「唐の周辺諸国の自立への動き」との相関図

          


年表:7世紀後半の東部ユーラシア諸国(唐と周辺諸国)に関する年表。
    唐・吐蕃戦争と周辺諸国の自立との相関を含め、東部ユーラシアでのグローバルな相関が見て取れる。




15. 安史の乱直前の唐の外征及び対外政策
  ― 七五一年の三つの大敗に象徴される唐の内政・外政の異常化の様相 ―
  Diplomacy of Tang Dynasty before the Revolt of An-shih :
  Abnormal Diplomatic Policy of Tang Dynasty Indicated by Three Defeats in A.D.751
  菅沼愛語
  『京都女子大学大学院文学研究科 研究紀要-史学編』
  (Historical Studies, Journal of the Graduate School, Kyoto Women's University),
  第10号 (京都女子大学,2011年3月) 49-80頁.



16. 唐代の契丹と突厥第二可汗国
  Khitan in age of Tang Dynasty and the Second Turk Qaranate
  菅沼愛語
  『京都女子大学大学院文学研究科 研究紀要-史学編』
  (Historical Studies, Journal of the Graduate School, Kyoto Women's University),
  第8号 (京都女子大学,2009年3月) 1-26頁.

  論文(PDF)

   図:突厥・契丹・奚の主要人物の関係に焦点をあてて見た北方外交関係の推移

          




17. 唐玄宗「御製御書」闕特勤碑文考
  ―唐・突厥・吐蕃をめぐる外交関係の推移―
  Inscription of Kol-Tegin written by Xuan-Zong 玄宗 and
  Diplomatic Relations between Tong Dynasty, Turk and Tibet
  菅沼愛語
  『史窓』,第58号 (京都女子大学史学会,2001年2月) 329-339頁.

  論文(PDF)  論文情報(CiNii)



18. 唐玄宗「御製御書」碑文の刻字
  Carved Letters on Inscription of Kol-Tegin written by Xuan-Zong 玄宗
  竹中愛語
  『史窓』,第47号 (京都女子大学史学会,1990年2月) 115-122頁.

  論文(PDF) 



史料和訳



1. 南北朝正史の沮渠蒙遜伝、氐胡伝、宕昌伝訳注
  An Annotated Translation of Ju-qu Meng-xun 沮渠蒙遜, Di-hu 氐胡,
  and Tang-chang 宕昌 in the Southern and Northern Dynastic Histories
  小谷仲男,菅沼愛語
  『京都女子大学大学院文学研究科 研究紀要-史学編』
  (Historical Studies, Journal of the Graduate School, Kyoto Women's University),
  第13号 (京都女子大学,2014年3月) 113-158頁.



2. 南朝正史西戎伝と『魏書』吐谷渾・高昌伝の訳注
  An Annotated Translation of the Western Regions in the Southern Dynastic
  Histories and of Tu-yu-hun 吐谷渾 and Gao-chang 高昌 in the Weishu
  小谷仲男,菅沼愛語
  『京都女子大学大学院文学研究科 研究紀要-史学編』
  (Historical Studies, Journal of the Graduate School, Kyoto Women's University),
  第12号 (京都女子大学,2013年3月) 187-250頁.

  京都女子大学 Academic Information Repository
  論文(PDF)



3. 『隋書』西域伝、『周書』異域伝(下)の訳注
  An Annotated Translation of the Western Regions of the “Suishu” and the “Zoushu”
  小谷仲男,菅沼愛語
  『京都女子大学大学院文学研究科 研究紀要-史学編』
  (Historical Studies, Journal of the Graduate School, Kyoto Women's University),
  第11号 (京都女子大学,2012年3月) 51-106頁.



4. 『新唐書』西域伝訳注(二)
  An Annotated Translation of the Western Regions of “the Xin-Tangshu”(2)
  小谷仲男,菅沼愛語
  『京都女子大学大学院文学研究科 研究紀要-史学編』
  (Historical Studies, Journal of the Graduate School, Kyoto Women's University),
  第10号 (京都女子大学,2011年3月) 127-193頁.



5. 『新唐書』西域伝訳注(一)
  An Annotated Translation of the Western Regions of “the Xin-Tangshu”(1)
  小谷仲男,菅沼愛語
  『京都女子大学大学院文学研究科 研究紀要-史学編』
  (Historical Studies, Journal of the Graduate School, Kyoto Women's University),
  第9号 (京都女子大学,2010年3月) 81-128頁.

  論文(PDF)

  小谷仲男教授 著書



研究紹介



1. 2016年の歴史学界 ― 回顧と展望 ―
  東アジア(中国 ― 隋・唐)
  菅沼愛語
  『史学雑誌』 第126編 第5号 (史学会,2017年刊行).



研究発表



1. 安史の乱後の国内秩序回復を目指した唐の外交 ―吐蕃・ウイグルへの対外政策を中心に―

   第112回 史学会大会 東洋史部会
   2014年11月9日(日) 於 東京大学

    大会情報(PDF)

   大会報告:『史学雜誌』 第124編 第1号 (史学会,2015年1月) 137頁.

安史の乱の終息から唐・吐蕃間の長慶会盟の締結までの約60年間(763~821年)の
唐の国内問題(藩鎮の乱)と外交政策との相関に着目し論じた。
唐は藩鎮の乱の平定に際し、吐蕃との会盟により外患軽減を試みた。
 ①781~783年、河北・淮西等で藩鎮の乱が相次いだ時、吐蕃と建中会盟を結び停戦した。
 ②朱泚の乱の際、奉天盟書で褒賞を約して吐蕃と連合し、784年朱泚軍を撃破した。
 ③821~822年、河北三鎮の乱の時、吐蕃と長慶会盟を結び和した。
唐は吐蕃と周辺国の対立も利用し、
 ①765年の僕固懐恩の乱の時、ウイグルと連合して吐蕃を撃退し、
 ②787年の平涼偽盟の後、ウイグル・南詔と連繋して吐蕃を牽制し、
 ③818年より激化した吐蕃の入寇に対し、太和公主の降嫁によりウイグルと親睦し吐蕃を牽制した。
この様に、安史の乱後の唐は長期の外交努力により内憂と外患を鎮め、一定の国内秩序を回復していった。



2. 1世紀以上に亘ってなされた約10回の唐・吐蕃会盟(706~821年)の様相
  ―唐から見た吐蕃との外交交渉―
  Ten times Tang -Tufan Treaties during about one century (706-821) :
  Diplomatic Negotiations with Tufan from the standpoint of Tang Dynasty

   第62回日本チベット学会大会
   2014年10月25日(土) 於 苫小牧駒澤大学

    大会情報(PDF)



3. 唐・新羅戦争の外交的背景 ―吐蕃・突厥も含めた大域的な視点から―

   日韓古代文化研究会 (第261回定例学習会)
   2014年7月6日(日) 於 大阪市立港区民センター




4. Influence of Tang-Tibet Wars in Eastern Eurasia in 7-8th Century

   The Third International Seminar of Young Tibetologists (ISYT Kobe 2012)
   Kazushi Iwao (Convener)
   Kobe City University of Foreign Studies, 3rd-7th, September, 2012.

   Information on ISYT
   Abstract of ISYT Kobe 2012

Influence of Tang-Tibet Wars in Eastern Eurasia in 7-8th Century

Aigo Suganuma (Kyoto Women’s University, Department of History)

Abstract

 The influence of "Tang-Tibet Wars" was investigated in terms of independence of
eastern Eurasia nations and changes of the military system of Tang Dynasty.
 There happened a series of Tang -Tibet Wars in the latter half of the seventh century.
In this era, Tibet attempted to govern Western Regions, and Tang Dynasty fiercely
fought against Tibet several times to keep the rule of Western Regions.
However, Tang army suffered crushing defeats against Tibet four times in 670, 678, 689 and 696.
As the historical importance, these wars might influence the independence of
eastern Eurasia nations, "unification of Korean peninsula by Silla Kingdom", "revival of Turk",
"revolt of Khitan" and "founding of a country of Pohai ".

1. Actually, "Tang-Silla war" (671) broke out in the next year of the complete defeat of
  Tang army in the first Tang-Tibet war (670).

2. In the next year of the crushing defeat of Tang in the second Tang-Tibet war (677-678),
 Turk began to revolt against Tang in 679, and finally achieved the independence in 682.

3. The revived Turk violently attacked Western Turk and destroyed a puppet government controlled
  by Tang in 690, the next year of the defeat of Tang in the third Tang-Tibet war (687-689).

4. Just after the complete defeat of Tang army at the final battle (March, 696) of
  the Tang-Tibet war (692-696), the revolt of Khitan (May, 696) occurred,
  which was considered to give an opportunity for the founding of a country of Pohai (698).
  In fact, whenever Tang Dynasty was suffered a crushing defeat at the fight with Tibet,
  the surrounding nations were activated and took the opportunity to attempt their
  independence from rule of Tang Dynasty.

 Thus, the Tang-Tibet Wars in this era would have an important historical meaning for
the independence of nations in East, Central and North Asia from China.
 The Tang-Tibet wars also influenced the military system of Tang Dynasty. During the wars,
the mercenary system was frequently taken instead of the fubing (divisional militia)
system, and Jiedushi military governors were set up against Tibet and Turk in the beginning
of eighth century. These changes led to a background of the large revolt of An-shih in 755-763.



5. 唐・吐蕃会盟の歴史的背景とその意義:安史の乱以前の二度の会盟を中心に
   第57回日本チベット学会大会
   2009年11月7日(土) 於 神戸市外国語大学

   大会情報(PDF)


学位論文



博士論文
『唐・吐蕃・突厥を中心とする東部ユーラシアの国際情勢とその推移』
博士(文学),京都女子大学,2011年3月取得




修士論文
『突厥キョル・テギン碑文の総合的研究』
文学修士,京都女子大学,1991年3月取得